東京の街を夜ごと歩き、静寂に包まれた路地裏や光の片隅を切り取っていた中国人留学生がいた。名前は王圣智(オウセイチ)。写真という表現に出会い、海を越えて日本でその可能性を追求した彼は、いま再び中国・河北の地に立ち、自らのスタジオを構えながら、商業と表現の間で独自の視点を模索している。
本インタビューでは、「挑戦」というテーマを軸に、彼が歩んできた道とこれから向かう先について、じっくりと話を伺った。
【プロフィール】
王圣智(オウセイチ)
フォトグラファー / N影像研究所 代表
1999年、中国・河北生まれ。中国の美術大学でデザインを学ぶ中で写真に出会い、2023年に来日。2023年に日本へ渡り、東京で本格的に写真を学んだ。帰国後は地元・河北で独立し、現在は商業撮影と自身の “等身大の光景”を追い続けている。
写真との出会い、それは「現実」を掴む瞬間だった。

日本で見つけた「写真の言語」——視点を問われ続けた日々
――写真に興味を持ったきっかけは何でしたか?
王圣智(以下、王):大学1年のとき、美術系の授業で公園に行く機会がありました。当時、キャノンのCCDカメラを買って、公園で撮った一枚が、今でも忘れられません。遊んでる子どもを撮ったんですが、その瞬間、“何か本物を掴んだ”のような気がしたんです。それまで僕にとって写真は「スマホで記録するもの」くらいの認識だったのですが、その一枚がきっかけで「写真って、こんなにも人を感じさせるものなんだ」と気付きました。

大学時代にカメラを手に入れたばかりの王さんは、公園の外から遊ぶ子どもを見つけ、急いで駆け寄ってその姿を撮影した。
――写真を本格的に学ぼうと思った理由を教えてください?
王:大学3年のとき、偶然図書館で森山大道の写真集を手に取りました。粗い粒子、強いコントラスト、ピントもあえてずらしているような大胆な構図……それまで見てきた整った写真とは全く違って、圧倒されました。「きれいに撮る」だけが正解じゃない。「写真はただ“綺麗に撮る”ものじゃない、感情や立場を伝える手段だ」ということに衝撃を受けました。
――なぜ日本を選んで写真を学ぼうと思ったのですか?
王:中国国内にも写真を学べる場所はありましたが、どこか「技術習得」中心の傾向が強くて、当時の僕には物足りなさがありました。日本の写真教育は、“視点”や“作者性”を重視するんです。自分が何を見て、どう感じているのか。それを徹底的に問われる環境に身を置きたかったのです。
――日本での写真学習で印象的だった経験はありますか?
王:先生に作品を見せるのも、最初は緊張で汗だくでした。でも写真って、言語以上に伝わるものがあると思うんです。在学中に取り組んだプロジェクトのひとつ、「夜」をテーマにしたモノクロ作品《夜行》は、毎晩東京を歩き回りながら撮り溜めた力作です。



在学中に取り組んだプロジェクトのひとつ、「夜」をテーマにしたモノクロ作品《夜行》は、毎晩東京を歩き回りながら撮り溜めた力作。
――言語や文化の壁には苦労しましたか?
王:本当に大変でした。最初は、日常会話どころか、スーパーで何が書いてあるのかすら分からない。撮影機材の用語も当然すべて日本語で、授業の中で質問するにも言葉が出てこない。
でも、不思議と写真という媒体そのものが、ある種の「共通語」になってくれる瞬間がありました。教授やクラスメートに作品を見せたとき、言葉が通じなくても、リアクションやまなざしで何かが伝わっていると感じられる。そういう実感が、自信にもつながりました。
レンズ越しに見えた「日本」と、その静かな孤独
――日本での撮影を通じて、日本に対する印象は変わりましたか?
王:東京の中心地も、地方の小さな町も撮りました。よくある“和風”イメージだけじゃなく、錆びた壁や静かな公園、時には不安や孤独が滲むような場面もあって。それが“リアルな日本”なんじゃないかと思いました。
――なぜ中国に戻って自分のスタジオを立ち上げたのですか?
王:一番大きな理由は、“撮りたい場所”が中国にあると感じたからです。日本にいる間、自分はずっと「外側から覗いている」感覚がありました。もちろん日本での学びはかけがえのないものでしたが、自分の言葉で語れる風景や人は、やはり故郷にあると思ったんです。なので、帰国してすぐに拠点を構え、まずは一人でスタジオを立ち上げることにしました。
故郷・南京で再び挑む「写真家」としての日常
――帰国後、最初に直面した課題は?
王:写真の“解釈”の違いですね。日本では「表現意図」や「構成の意味」をじっくり聞いてくれる環境がありましたが、中国ではまず「見た目がいいかどうか」が優先されることが多かった。
クライアントワークでは、それに応じた提案力も必要ですし、作家性だけで押し通すわけにもいきません。そのバランスの取り方には、今でも日々悩みながら向き合っています。
――仕事はどのように見つけましたか?
王:最初の案件は、大学時代の友人が紹介してくれた結婚式の撮影でした。そこから、依頼された仕事の合間に、自分のポートフォリオを定期的にSNSで発信していきました。
「撮影の依頼がなくても、カメラは止めない」。そのスタンスが、少しずつ信頼や共感につながっていったと思います。
――大変だった時期をどう乗り越えましたか?
王:帰国後の3ヶ月くらいは、仕事がゼロで本当にきつかったです。その間、自分自身を試す意味も込めて、「城市边角(都市の片隅)」というシリーズをスタートしました。廃墟寸前の古いアパート、雑居ビルの屋上、夜明け前の市場——一見して何もないような場所にも、確かに生活の痕跡が残っている。その“残り香”のようなものを撮ることで、自分の視点を見失わずにいられました。
帰国して間もない数か月、都市の外れで撮った荒れ果てた光景は、当時の心情そのものだった。

――スタジオのチーム構成はどうなっていますか?
王:今は僕を含めて3人の小さなチームです。一人は撮影アシスタント、もう一人は編集と企画を担当しています。最初は一人で全部やっていたので、撮影から納品まで何日も徹夜することもありましたが、今はチームで補完し合える体制が整ってきたので、より“創作”に集中できるようになりました。
――写真とは、あなたにとってどんな存在ですか?
王:写真は、僕の人生そのものです。人と人の間にある繊細な感情、光の一瞬を切り取って、誰かに届けたい。呼吸に近いです。毎日撮ることが当たり前で、撮らないと逆に不安になるくらい。同時に、写真は僕にとって「対話の手段」でもあります。
――これまでで最も印象に残っている撮影はありますか?
王:ある雨の日、タクシーの運転手さんが窓にもたれて煙草を吸っていたシーンです。彼の背中に、自分の父の姿が重なったんです。静かな画ですが、僕にとっては感情の奥深いところを掘り起こされたような時間でした。写真が持つ“記憶の回路”としての力を、改めて実感しました。
――今後挑戦したいことは何ですか?
王:個展を開催することが目標です。今進めているシリーズ《城市边角》をまとめて、河北のどこかで小さな展示をしたいと考えています。また、短編映像の出版も視野に入れています。写真だけでなく、「言葉と映像の間」を試してみたいですね。
自分の写真スタジオで、思い描いたスタイルのポートレートを撮影した。
――「挑戦」という言葉をどう捉えていますか?
王:挑戦とは、自分に対して“問い続ける”ことだと思います。「なぜこれを撮るのか?」「これは誰のための表現なのか?」。そういう問いを止めたときに、創作は終わる。だからこそ、挑戦は終わらないとも言えます。正解がない世界で、自分だけの答えを見つけていきたい。だから僕は、今日もシャッターを切ります。
――最後に、これから写真を学ぼうとしている人にメッセージをお願いします。
王:今の時代、写真は誰でも撮れるし、SNSで「バズる」こともある。でも、大切なのは、“誰の目を通して世界を見ているか”ということではないでしょうか。
取材・文/李 遠鵬 写真提供/王 圣智







