中国、アメリカ、日本という三つの国を舞台に、自分の感性を磨いてきた王秉楠さん。高校時代から海外での生活を経験し、世界的なファッション教育機関で学びながら、自分だけの表現を追い求めてきた。文化や言語の壁を乗り越え、成長してきたこれまでの歩みと、これから目指す未来についてお話を伺った。
【プロフィール】
王秉楠(オウ ビンナン)
1999年中国生まれ。高校からアメリカの『Wyoming Seminary(ワイオミング・セミナリー)』に留学し、その後、ニューヨークにあるアートとデザインを専門とする大学『Parsons School of Design(パーソンズスクール ・オブ・デザイン)』のファッションデザイン学科を卒業。在学中にWhite Projectなどの学内外のコラボレーションに参加し、ロンドンの『Central Saint Martins(セントラル・セント・マーチンズ)』にも交換留学。卒業後、2023年より日本に渡り、現在は武蔵野美術大学大学院空間演出デザインコースに在籍。研究テーマは「宇宙服の可能性と未来的ファッション」。ファッションデザイン、空間表現、マーケティング企画の分野に精通。趣味はゲーム、サッカー、旅行。
自立への一歩、アメリカ高校生活の始まり
――アメリカに留学するきっかけは何でしたか?
王秉楠(以下、王): 主に2つの理由があります。1つ目は、小学校の同級生が小学4年生のときにアメリカに留学して、現地での生活がとても楽しいと言っていたことです。特に課外活動が充実していて、毎日が楽しいと話してくれました。もう1つは、自立心を鍛えたいという思いがあったからです。
1844年創立の王さんが通っていた『ワイオミング・セミナリー』。右側に見える塔は、授業の始まりと終わりを知らせる鐘楼。
――実際にアメリカに行ってみて、イメージ通りでしたか? 特に楽しかった経験があれば教えてください。
王: 学校のサッカーチームに入って、放課後に練習したり、学校代表として試合に出たりしたことがとても楽しかったです。
――高校から一人でアメリカに行くことになって、生活の中で大変だったことはありますか?
王: 一番大変だったのは食事面ですね。中華料理とまったく違うアメリカの食べ物には最初はなかなか慣れませんでした。ただ、当時は高校の寮に住んでいたので、生活リズムが整っていて、先生たちのサポートもあり、友達もたくさんいたので生活自体にはあまり困りませんでした。
――言語の壁はありましたか? どれくらいで慣れましたか?
王: 最初はやはり少し壁がありましたが、現地の先生は外国人の生徒に対して優しい英語を使ってくれたので助かりました。また、中国にいたときからTOEFL※1の勉強をしていたので、大きな問題はなかったです。1年半ほど経ったころには、学校の外でもスムーズに会話ができるようになりました。
※1 英語を母国語としない人々の英語能力を測る世界基準のテスト
――高校生活で一番楽しかった時期はいつですか?
王: 高校3年生の時期が一番楽しかったです。すでに大学からオファーをもらっていて、進路が決まったあとだったので、気持ちに余裕ができて毎日がとても楽しかったです。
英語を教えていたロシア出身の先生が、雑談の時間にロシア軍での兵役時代の写真を学生たちに見せてくれたときの様子。
――高校4年間で一番大きな成長は何でしたか?
王: 一つは、英語力が大きく伸びたことです。そしてもう一つは、人とのつながりです。今でも連絡を取り合える親しい友人たちに出会えたことが、何よりの財産です。
創作と出会い、そして挑戦の日々
――大学はなぜファッションデザイン系を選んだのですか?
王: 雑誌で見たファッション写真がとてもカッコよくて、服作りに興味を持ったのがきっかけです。高校2年の夏に『パーソンズスクール ・オブ・デザイン』という大学の公開講座を見つけて、2週間の体験授業に参加しました。その授業でファッションデザインの面白さや基礎知識を学んで、さらに興味が深まりました。それでこの学校を受けることに決めました。
――あなたの大学『パーソンズスクール ・オブ・デザイン』はファッション界でもトップクラスの学校です。実際に通ってみてどうでしたか?
王: 高校とはまったく違っていて、大学にはクラス制度がなく、全てが自己管理になります。先生が細かく指導してくれるわけではないので、自分でしっかりスケジュールを立てる必要があります。周りの学生もみんな優秀で、自分も刺激を受けながら勉強しました。
大学での授業課題の一つ。テーマは「結び目」で、発想を広げながらロープの結び目の要素をファッションデザインに取り入れた。
――大学生活で一番印象に残っていることを教えてください。
王: 特に印象深かったのは、コロナ禍の時期、イギリスでの交換留学、そして大学4年生の卒業制作期間の3つです。
――まずコロナ禍について、当時どんな状況でしたか?
王: 2020年の初めにコロナが広がり始めて、みんなすごく不安でした。ちょうどそのとき、アメリカで高校に通っていた弟といっしょに家に閉じこもって生活し、授業はすべてオンラインでした。帰国したくてもなかなか航空券が取れず、7月になってようやく高額なチケットで帰国できました。帰国後の大学2年生時は、1年間ずっと中国からオンライン授業を受けていました。
――それは本当に大変でしたね……。では、イギリスでの交換留学についてはいかがでしたか?
王: とても楽しかったです! 留学先の『セントラル・セント・マーチンズ』にはクラス制度があり、同級生と交流する機会も多く、たくさんの友達ができました。指導教員もとても親切で、デザインのアイデアについて積極的にアドバイスをくれたのがありがたかったです。
『セントラル・セント・マーチンズ』留学中に受けた授業での作品。授業名は「立体裁断」で、立体的な服づくりの技法を学びながら、自分のアイデアを形にした。
――卒業制作の時期はどうでしたか?
王: 卒業制作の準備は本当に忙しかったです。実は、交換留学やコロナの影響でアメリカの同級生と関わる機会が少なかったのですが、4年生になってようやくいっしょに制作を進める中で仲良くなれました。あの期間はとても貴重で、忘れられない思い出になりました。また、同時に日本への留学も決めていたので、その準備として日本語の勉強やポートフォリオ制作にも取り組んでいました。
王さんの卒業制作。テーマは「未来の宇宙服」。現在の宇宙服が素材の制約により似た形になりがちな点に着目し、今後はデザイン性や美しさも重視されるようになるという考えのもとに制作。
日本という新しい選択肢
――どうしてアメリカやイギリスではなく、日本を次の進学先に選んだのですか?
王: アメリカには長く滞在していたので、新しい環境に身を置きたいと思いました。アメリカは明るくて外向的な性格の人に向いている国だと思いますが、自分には日本のほうが合っていると感じました。日本文化も好きで、アニメをよく見ていましたし、旅行でも何度か訪れていて、食べ物も美味しくて印象が良かったです。生活の質も高く、芸術活動も盛んで、治安も良い。そして、人との距離感も心地よく礼儀正しいと思っています。そうした理由で日本を選びました。
――「これは自分のやりたいことだ」と確信した瞬間はありましたか?
王: 何事もまずはやってみることが大事だと思っています。やってみて初めて、それが本当に自分のやりたいことなのかどうかが分かります。自分はまだ25歳。若いうちにたくさんのことに挑戦して、自分の可能性を広げていきたいです。
王さんは服装造形の可能性を追求し続けている。卒業制作の期間に、自分が満足できる作品を完成させるために努力している。
――日本でやりたいことはありますか?
王: 旅行が好きなので、日本各地を巡って、その土地ならではのグルメを味わったり、日本文化を体験したりしたいです。
この写真は王さんが新潟県の佐渡島で撮影したもの。
――将来の夢を教えてください。
王: 自分の小さな農園を持って、いろいろな動物を飼ったり、野菜や花を育てたりしながら暮らしたいです。そんな自然の中でのんびり過ごす生活に憧れています。
取材・文/張月 写真提供/王秉楠