液晶を見つめる視線、まるで音を奏でているように響くマウスのクリック音。細胞から弾けているいるかのような体の動き。
少し恥ずかしそうに作業したり、得意のポッピンを披露してくれる彼は、クリエイター兼ダンサーの高橋健太(たかはしけんた)さん。
生まれも育ちも江戸川区。生粋の江戸川っ子です。自称『何でも屋』と語り、映像の編集やカメラマンというクリエイティブな仕事をこなすかたわら、ダンサーとしても活動しています。毎日、新しいものを世界に発信し続けたいと話す高橋さんに、自身の仕事についてインタビューしました。
優しそうに話しながら、笑いかける高橋さん。学生時代から”ダンス”をしていたというが、そんな強い武器を持ちながらもクリエイターを目指したきっかけはなんだったのでしょうか。
「僕、元々はクリエイターではなくダンサーを目指していました。高校の頃にダンスを始めて、将来はプロになって海外に行くことも視野に入れていました。でも、人生うまくいかないものですね。高校2年生のとき、親と念願のツーリングに出かけ、その際、運悪く交通事故に遭い、目が覚めたときは病院のベッドの上でした。1カ月意識がなかったらしく、首の骨が折れていたので首から下はもう動かないって宣告されました。だけど、ダンスを諦めることができず、むしろ『動かないなんてありえない!』『何言ってんのこの人?』と思ってました。それから毎日、リハビリに励んで、意地で身体を動かせるようにしました。しかしながら今までどおりに身体は動きません。それでもダンスが好きだし、ダンスに関わる仕事がしたいと思って、ダンスのTシャツやチラシのデザインならできるだろうと思ってデザインの専門学校に通うことにしました。現在は映像の撮影から編集まで行う仕事をメインに、ファッション関係のカメラマンとして撮影など幅広くやらせてもらっています」
現在は、クリエイターの仕事を中心に活動しているが、それに加えて2つの専門学校の講師も掛け持っているという、多忙な日々を過ごしているのかと思いきや、1カ月の仕事のサイクルは意外なものでした。
「基本的に、ひと月に受ける依頼は2、3件です。無理のない程度で案件を受けているので好きに過ごせる日もあり、充実した日々を送れているなと思います。1件のギャランティが大きいので、余裕のある生活もできています」
公私ともに自身のペースで上手く調和を図るのはそう簡単なことではないが、それをこなしてしまう高橋さんが羨ましいと感じる。
収入は、主に機材費や、後輩・知り合いとの食事代として支出しているそう。貯金も大事だが、”今”という時間を大事にしている高橋さんらしさが伺える。
普段どんな作品に携わっているのか知るべくInstagramを拝見させてもらった。載っていたのは『蒙古タンメン中本』の50周年感謝企画のPR動画や、ストリートな雰囲気が漂うダンサーのアーティスト写真。かと思えば、可愛らしい女性モデルの写真や妖艶なオーラが溢れ出る写真まで。想像以上に幅広いジャンルの作品を手がけており、挑戦の可能性を感じられた。時々見られる仕事仲間との写真がとても楽しそうで、いかに高橋さんが人との繋がりを大切にしているかが伝わった。
最後に。九死に一生を得た高橋さんだからこその生き方のヒントを伺いました。
「自分の思うように生きた方がいいです。人生は一度きり。やりたいことは絶対にやる、やりたくないことは無理してやらない。苦しいときは逃げてもいい。明日死んでも後悔のない今日を生き、周りの人を大切にして毎日笑顔で過ごすことが一 番の幸せだと思います。あとは健康第一です」
人生は楽しいことばかりではない。ときには辛いことや苦しいことも訪れる。そこをどう乗り越え、生きていくかが今後の自分を左右する。高橋さんは自分自身で未来を切り開いた。このかっこいい生き様をもっと多くの人に広がればと強く願う。
取材:松田・山野・白鳥・皆川・佐々木 |